国際理解教育/多文化共生教育

国際理解教育:9.11後の世界を生きるための技法とは

国際理解には、光と影の側面があると考えられます。すなわち、理解の可能性を前提とする国際理解と不可能性を前提とする国際理解です。少なくとも日本で培われてきた国際理解教育は、どちらかといえば前者が前面に打ち出され、後者は等閑に付されてきたと言えましょう。

しかし、2001年に米国で起きた同時多発テロ事件(9・11)以降の新たな時代文脈においては、〈理解の不可能性〉についても積極的に考えていかなくては、国際理解、ひいては共存・共生が困難になるのではないか、と考えられます。 以後、シチズンシップ教育なども推進されてきたましたが、民族や宗教間の相互理解は改善の兆しを見せず、2015年11月には同時多発テロ事件がパリで起きてしまいました。

テロ事件が示唆するのは、民族と民族とのあいだに歴然とある<溝>であり、他者を理解すること、他者によって理解されることは、本来、困難であるといっても過言ではないでしょう。こうした近年の国際情勢を踏まえこれからの国際理解教育のあり方を考えると、<理解可能な他者>を前提とせず、自分と他者とのあいだにある<溝>やコミュニケーションというツールの無力さをも包摂した新たな理論が必要なのではないのでしょうか。

従来の国際理解でしばしば強調された外国理解とか外国の文化紹介を超えて、他国・他民族・他文化を<理解>することではなく、理解できない事態に直面したとき、それにうまく対処できるような思考と態度の形成が求められているのです。

中国の「異己」という概念をヒントに、理解を超えた他者との共生のための知識・技能の習得を目指して、中国と日本の小中学校で実験的に行われている日本国際理解教育学会による共同事業です。概要は学会誌『国際理解教育 Vol. 20』「報告:国際委員会」をご覧下さい。

この他にも、日本国際理解教育学会では身体論や感性論に基づく他者との共生を意識した活動を展開してきました。一例ですが、詳細は同学会の下記の紀要をご覧下さい。また、上記の問題意識の「途上」の成果として、下記の科研費事業報告書も挙げておきます。

近年、刊行された論考は次の図書に掲載されています。